『倭をぐな』による4つの歌(2015)
最近音楽を聴く際、洋の東西の感性の違いというものを意識せざるにはいられなくなってきた。小さい時から西洋音楽をベースに音楽を学んできて、それに疑問を感じることはなかったが、大学に入って自分のオリジナルの音楽を作ろうとすると自分の感覚が西洋のそれとは違うことにぶち当たってしまう。
むしろこれをプラスにとらえ、自分が日本人の作曲家を目指すものとしては、やはり西洋との違いというものをはっきりと打ち出さなくてはならないと自覚するようになってきた。
そこで今回、太平洋戦争前後の時期に活躍した国学者・歌人である折口(おりくち)信夫(しのぶ)(歌人名:釈迢空(しゃくちょうくう))の短歌を用い、日本人の日本人のための日本人による「うた」を書くことにした。このフレーズを使ってしまうあたり、日本人は欧米の影響から逃れられないのかもしれない。しかし飛鳥時代に仏教を受け入れて以降、日本人は他国の文化をうまく取り入れてきたし、それは日本人の世界に誇れる点だと思う。
戦後70年の本年、もう一度日本という国、日本人というアイデンティティを考え直していきたい。
この作品においては、「うた」は折口信夫の独白、ピアノはその背景色のような役割が与えられる。これは西洋の伝統的な歌曲の形式、すなわち歌とその伴奏の関係というよりはむしろ水墨画の風景画とその上方に書いてある詩のような関係に近い。
両者はお互いに干渉しないが、補完しあう。
このうたは、同性愛者であった折口信夫が、愛弟子かつ愛人であった春洋(はるみ)という人物に思いをはせて歌った歌集『倭(やまと)をぐな』に拠っている。太平洋戦争に徴兵され、遠くへ行ってしまった春洋に向けて、わずかながらの望みをもちつつも絶望感、虚無感をうたった折口。国学者としての著作からは見えてこない私情が見えてくるうたである。
古来より、儚きものに美を感じてきた日本人の美意識がここにもあらわれ、この境地に達することを私も目標としている。日本人にしか表現できない芸術表現を目指すというのは、2年間女房役を務めさせていただいているバリトンのM野くんと何度も語り合った共通の思いであり、
この作品は彼への献辞である。
歌
1.浜の道 ひたすら白し羽咋辺へ 人ゆかなくに とほりたりけり
2.(前文)
たゝかひのたゞ中にして、
我がために書きし 消息
あはれ たゞ一ひらのふみ―
かずならぬ身と な思ほし―
如何ならむ時を堪へて
生きつゝもいませ とぞ祈る―
洋なかの島にたつ子を ま愛しみ、我は撫でたり。大きかしらを
3.戦ひに果てにし者よ―。そが家の孤独のものよ―。あはれと仰す
4.あゝひとり 我は苦しむ。種々無限清らを尽す 我が望みゆゑ